退職するまで。

1976年 静岡県富士市に産まれる。

産まれて間もなく、東京都北区へ。

真冬でも長ズボン禁止、土曜日の午後はサッカー必修という謎の小学校生活。

卒業後そのまま全く同じメンバーで中学校へ、中学の名前が【せ◯し中学校】だった為、バスケ部やバレー部の応援は、「飛べ飛べせ◯し」「イケイケせ◯し」という掛け声で割と悲惨な感じだった。

全く勉強がダメで、高校があまり選べずだったので女子が1番多いであろう商業高校に進学、自己紹介で中学の名前言うのが超絶恥ずかしかった思春期。

氷河期で、就職先なんて無く職業訓練校に行くも背中の謎の激痛により中退。

その後、コカコーラにてルートセールスの仕事について5年くらい働いた。

何故かおばちゃんと子供にはウケがアホみたいに良いオレはコンビニで買い物してたら、レジのおばちゃんに仕事を紹介されて印刷工場に入った。

そこは、教科書とかを印刷してる大手企業だったよう。何でコンビニのおばちゃんが?と思ってたら社員の愛人だった。

どうしても夜勤、日勤の切り替えがオレには上手く出来ず1年くらいで退職した。貯金もあったので少し遊んでいたら何故か居酒屋で働く事になり3ヶ月で店長にされた。

その頃よく飲みに行ってた立ち飲み屋のマスターから「オレの後をついでくれ」と言われ働く事にしたけど、スタッフの婆さんがどうしても自分の中で許せず揉めて辞めた。

その後、人間関係で疲れ果てたので5年くらいフリーターをし、その時に今の嫁さんに出会う。

これはマズいと、慌てて仕事を探して某ブラック企業に就職。

無駄に経験だけは長かったので、入社後2ヶ月ちょいで店長に昇格の辞令が来てしまう。

店長になったからには、シフトの管理も出来る訳でブラック勤務からの1日でも早い脱却をする為、日の出前出社、終電帰りを2ヶ月続けて毎日定時に帰っても利益が出るシステムを作った。

低空飛行だった店を軌道に乗せて表彰もされ、昇進の話が出て面倒になって退職、当時子供が小さく遅くまで働く事は出来なかった等、色々事情があった。

そして、本八幡のラーメン屋で働く事になったんだけど既に店長いて頑張っていたので普通に仕事してた。

体力が有り余ってたので、夜中毎日ジョギングしてたら大腿骨骨頭にヒビが入って全治4ヶ月。。。

復職したら、ビーガンレストランを買収する話になってて何故かやった事もないジャンルを任される。

そこは、メチャメチャで仕入れ先もべらぼうに多いし変に拘りが強すぎて宗教団体みたいな店だった。

店主が上の階に住んでてオープンからラストまで常駐して利益を出していた店を黒字だからと買取ったよう。

仕入れ先を減らして簡略化して、店の雰囲気を変えた頃に、急にラーメン屋に戻る事になった。

店長になったので、直すべきところは直してと色々やってる時にオーナーの会社の部長との軋轢。

考え方が全く合わないので、スタッフに仕事を教えて辞めようと考え初めた。

その後コロナになり売上は低迷、もともとずっと赤字だったし、社員2人いたら100%利益なんて出ない事を伝えた。

そして、閉店する事がオレに伝えられたのは5月の終わりだった、7月一杯で閉店との事。

まぁ仕方ないなぁとテナント見てたら、働いてた店が4月の頭にはテナント募集広告を出していた。。。

でも、不思議と怒りは湧かなかった。

よし!切り替えて独立しよーって。

スタッフ達に閉店する事を伝え、実は3ヶ月前からテナント募集されてたのも、ついでに伝えた。

いまだにスタッフ達とは連絡とってる、あんなに空きテナント見てたのに発見出来なかった事に少し責任を感じてる。。。

暇つぶしに見てみよう。